「行き詰まった時は、出発の時」使徒16:1-10
人生には、順風満帆で何もかもがうまくいくときもあるかもしれませんが、その逆に、何をやってもうまくいかないという時もあります。それまでは欲しいものを何もかも手にしてきたようであっても、予期せぬことで突然すべてを奪われ、転落してしまうことがあります。仕事でつまずき、人間関係でも行き詰ることがあります。親しいはずの肉親同士、また夫婦間にも亀裂が走り、距離が開き、悲しいことですが以前の親密な関係を取り戻せなくなる現実があります。
想定外の事故ということもあります。また、自然災害、さらに病気や死など、行き詰まりを数えたらきりがないかもしれません。どうしてこんなことになるのだろう。「神も仏もあるのだろうか」と正直誰もが思うことでしょう。
しかし、そこで聖書の神様は、不思議なことをおっしゃるのです。「行き詰った時は、出発の時」だと。新約聖書の使徒言行録には、このような驚くべき展開がたくさん出てきます。その典型的な例が、使徒言行録16章にあります。ここには使徒パウロの伝道旅行の道筋が書いてありますが、人間的にみれば、どうみてもどん詰まりと思えるトロアスの港で、使徒パウロに一つの夢が与えられました。一人のマケドニア人が助けを求めるというリアルな夢です。その夢を通して、神がご計画を開示されたのです。それは海を渡って、ギリシア半島に渡るという導きでした。パウロ達の思っていた方向とは逆の方に、しかも、広いヨーロッパに渡っていくという展開が起こりました。それまでは小アジアまでに限定されていたキリスト教が、この時からヨーロッパを経て全世界へ展開して行きます。そしてわたしたち日本にも福音が届いたのです。この行き詰まりからの出発は、まず広さの展開ですが、それだけではありません。人生の深さへの展開でもあります。
あるクリスチャンのご家庭の一人娘である御息女が、白血病で天に召されました。そのご家庭においては大変な悲しみでした。しかし、これを契機として、娘さんのお母様が献身して牧師となられました。今も現役の牧師として活躍されています。娘さんの死がなければ、このような展開はなかったのです。行き詰まりからの出発は深さでもあります。希望をもって新しい出発をいたしましょう。