「ゆるしを生きる」マタイ18:21-35
わたしたちは人をゆるすことができるか。誰であっても正直、どうしてもゆるすことができない人が一人や二人はいるものです。また、逆に、自分がゆるされないという想いに囚われ、苛まれて、生涯その想いを抱えていかねばならぬとがんじがらめになっていないでしょうか。自分の人生は呪われているのではないか、自分は幸せに生きてはいけないのだ、そう思い込んでおられる方も多いのではないでしょうか。
それに対して、私は牧師として、このようにお話させていただきます。
聖書の中には、「ゆるし」の世界があるということを。この「ゆるし」を、イエス・キリストにおいて、信仰において掴むことをお勧めします。神の権威ある罪のゆるしの宣言は、あなたの呪縛された人格を癒し、がんじがらめに良心をしばりつけてきたもろもろの咎の鎖から解放し、神の平安のうちに自由で積極的な人生へと導いていきます。あなたは変えられるのです。
教会で、毎週この「ゆるし」の恵みの大きさに気づき、新たに生かされていく中で、わたしたちも、心にゆとりが与えられて、次第に他者をゆるせるように変えられていきます。わたしたちは変われるのです!
まず祈りましょう。他者に対して、自分自身に対してゆるせない心を正直に、神様に申し上げましょう。ゆるせる心を聖霊によって与えてください、と祈りましょう。この祈りは聞かれるのです。
身近な人間関係から、世界の情勢に至るまで、家族の中から、国のトップに至るまで、誰もが自己主張と、敵意と、欲望とに固執しています。現代では、その流れが勝利をおさめるかのように映ります。しかし最後は、ゆるしの奇跡、和解の奇跡、愛の勝利があることをわたしたちは信じています。ねばり強く、隣人と共に生きていきましょう。