千葉県佐倉市のプロテスタントのキリスト教会
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先週の説教より

先週の説教より「人生の終着点」

「人生の終着点」ルカ19:1-10 人生の終着点は、どこにあるでしょうか。それは時間や場所のことではなく、また、単に自分の人生の目標とする山頂に到達するということでもないように思います。むしろ、それは途上であっても、自分 …

先週の説教より一言「誰であっても救われる」

「誰であっても救われる」使徒15:1-21   「誰であっても」この誰であってもとは誰でしょう。それは、主イエス・キリストを信じる者誰でもということです。主を信じる者は、誰であっても救われて、神の子どもとして歩 …

先週の説教より一言「嵐の中の教会」

「嵐の中の教会」マタイ8:23-27   人生の航海において、また教会の歩みという航海においても、予期せぬ突然の嵐に見舞われることがあります。その嵐によって想定外の被害に苦しむこともあるでしょう。しかし、そのお …

先週の説教より一言「ゆるしを生きる」

「ゆるしを生きる」マタイ18:21-35   わたしたちは人をゆるすことができるか。誰であっても正直、どうしてもゆるすことができない人が一人や二人はいるものです。また、逆に、自分がゆるされないという想いに囚われ …

先週の説教より一言「信仰と笑い」

「信仰と笑い」創世記21:1-8 5節「息子イサクが生まれた時、アブラハムは100歳であった。サラは言った。「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は、皆わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう。」 聖書的に笑い …

先週の説教より一言「それでも支えられる」

「それでも支えられる」使徒言行録14:19-28 22節「『わたしたちが神の国に入るまで多くの苦しみを経なくてはならない。』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。」  これは使徒パウロによる第一回目の伝道旅行の最後 …

先週の説教より一言「今を生きる」

「今を生きる」マタイ8:18-22   これは抽象的な話ではないのです。主イエス・キリストの弟子として、単純に私たちが信じて従うかどうかのことなのです。「単純に」ということが、ミソです。私たちはついつい「複雑に …

先週の説教より一言「平和を求める祈り」

「平和を求める祈り」創世記18:16-33 ヘブロンの高台において、アブラハムは、低地の肥沃で盛んな町、ソドムの救済のためにとりなしの祈りをささげました。ソドムは町としては栄えていましたが、神の忌み嫌われる悪徳で満ちてい …

先週の説教より一言「病とのつきあい方」

「病とのつきあい方」マタイ8:14-18  「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。」18節  主イエス・キリストは、わたしたちと人生の旅を共に歩まれるだけでなく、わたしたちの人生の重荷を一緒に背負ってくだ …

先週の説教より一言「あるがままで」

「あるがままで」創世記20:1-18、使徒13:13   聖書って、不思議な書物ですね。読んでいて、何も心に感じないで通り過ぎていく箇所があります。疑問だらけで腹に落ちない、納得できない箇所や、むしろ反発すら抱 …

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