先週の説教より一言(2019年4月28日)

「平和のハーモニーはここから」

 ルカによる福音書24:36-43
「そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。」

 復活されたイエスは、弟子たちの前でおそらくその地方でよく食べられていた塩魚(つまり、焼いた魚の干物でしょう。)を美味しそうにムシャムシャと食べられました。これって、なにか変じゃないですか? そう思いませんか? この箇所は復活のイエス・キリストが弟子たちと再会するという感動の場面です。本来は崇高な場面なのです。なのに、カメラの焦点・フォーカスは、イエスの手の中にあるちっぽけな干物、それをムシャムシャと音を立てながら食べるイエスに向いているのです。日本映画の小津安二郎監督はカメラを低い位置に据えて撮ったことで有名です。それと似て、ここではカメラのアングル(角度、方向)が独特です。イエスの手の内にある小さな干物にフォーカスが当たっている。崇高さと日常のギャップが同居している。面白いですよね。これは可笑しいというか、ユーモラスなところでもあります。いわば神のユーモアではないでしょうか。
 そう思えるのは、復活の主イエス、永遠の命の主という本物がここに立っておられたからです。本物との出会い、その救いにあずかって、今まで自分が絶対だと思っていた絶望がシュ〜と音を立てて小さくなったのです。今まで絶対だと思っていた悲しみ、弱さ、罪深さ、愚かさが、まるで復活の主の手の中にあるちっぽけな干物のごとくに、相対化され、小さくなったのです。もはや笑い飛ばせるごとくになったのです。復活の主と出会うとはこういうことです。わたしたちは、今や主イエスの手の中にあるちっぽけな干物そのものです。このゆとり、笑い、ユーモア、平安が、わたしたちの新しい活力となります。またハーモニーとしてわたしたちから世界に発信することになるのです。