「進みゆけ、主の道を」使徒言行録13:4-12

 「すると魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。」(11節後半~12節)

 

 イエス・キリストを信じたら、誰であっても救われます。罪のゆるしと永遠のいのちと神の愛によって、新しい生き方と幸いが約束されています。この普遍的な福音を世界の隅々まで届けようとした人がいました。使徒パウロです。その世界宣教のはじめに、魔術師との対決の場面がありました。その結末はとても印象深いものがあります。今まで、まやかしとは言え、人々に対して助言をし、尊敬を集め、人生の道のりをリードしてきた者が、まことの福音に接した時に、立場が逆転し、人の手引きなしには歩めない者となったのです。それこそが、真実の姿だったのです。こうして魔術師は退散していきます。

 この魔術の正体、それはまやかし、つまり偽りそのものなのです。洗脳と脅迫によって、彼により頼んでいたら幸せになれると思いこませられるのです。結果としては裏切られてしまいますが・・。そのような現代の魔術は何でしょうか。またそのようなことがどんなに科学が発展しても存在するのはなぜでしょうか。偽りだとわかっていても、それにより頼むことでわたしたちの安心や利益、罪深い欲望が守られ、保証され、温存されるからではないでしょうか。しかし、福音が正しく語られ、聞かれる時にその古い生き方の正体と結末も明らかになるのです。聖霊によって信仰に入る者は、古い生き方から解放され、新しい生き方に導かれていきます。福音にはこのような底力があるのです。