「逃れの道」創世記16:16、コリントⅠ 10:13

 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に合わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道を備えていてくださいます。」コリント10:13

 

「逃げるな。祈りの内にそこに留まれ。そして、祈りのうちに一歩を踏み出せ。そうすれば、そこにいのちの道が備えられている。」神学校の恩師から賜った言葉です。旧約聖書のハガルの物語においても、そのことは証しされています。こうして現実から逃げないで踏みとどまる道があります。他方では、コリント書にあるように、神は逃れる道を備えてくださっているとも書かれています。これは矛盾でしょうか。そうではありません。一つのことなのです。神に逃れるのです。それは、現実から逃げない道になります。

よく、教会に来られていない一般の方々から、宗教は現実からの逃避だと言われることがあります。だから弱い者だけが教会に通っている。自分はそうはなりたくないと。弱いということは本当にそうです!(笑)と正直に申し上げます。でも、神に逃れることは、現実から逃避することではなくて、むしろ現実に向き合っていく勇気と活力と知恵を与えられることなのです。

毎週の教会の礼拝でそれは実現しています。わたしたちは神の前に逃れていきます。そこで、一週間の罪を懺悔し、祈りをささげ、親しく交わりをしていると、不思議に重荷は軽くなり、元気が与えられていきます。そこで示される道に進んでいくと、それは命の道であると気づかされます。神は真実な方です。一歩一歩示されるままに歩んで行きましょう。