「神の恵みの下に生き続ける」
詩編16:1-11、使徒13:38-43
「集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神をあがめる改宗者とがついて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた。」43節
使徒パウロの説教は、神の救済の歴史についてでした。イエス・キリストの登場、その中心として十字架と復活の出来事により、罪の赦しと永遠の命という救いが現れて、それで、救済の歴史は半分終わったことが明らかになりました。後の半分は・・それは、この救いをわたしたちが自分の生きている現実の中で信じ、生きることによってです。ここで残りの半分が終わります。つまりわたしたちが提示されている福音をいかに生きるか。そこまで使徒パウロの説教はぐんぐんと迫ってくる。
では、その救いを生きること、恵みの下に生き続けることはどういうことか。以下の4項目にまとめました。
第一に、「わたしは誰であるか、わたしのアイデンティテイはどこにあるのか」そういったことがわかるという意味があります。平たく言うと、私たちは、この福音によって自信を得るということではないでしょうか。自信が過ぎると傲慢になって、罪となります。しかし、健全な自信は明日を生きる活力となります。神の愛によってこの自信を得る、または取り戻すのです。
第二は、ブレーキが与えられるという意味です。罪の誘惑に陥らないように、傲慢にならないように、神様はわたしたちの人生にブレーキを与えてくださいます。失敗や挫折や行き詰まりを通して謙遜になるように導いてくださいます。
第三は、望みを持つということです。これは死後の永遠の命ということにとどまりません。先が見えない困難の中でも、クリスチャンは不思議にも「なんとかなるよ」との思いが与えられて、耐えることができるようにされているのです。
そして最後は、使命に生きるということです。受けることだけが恵みではありません。わたしが誰かのために生きる。誰かのために自分をささげることができる。これが恵みの頂点です。
神の恵みの下に今生きよ、生き続けよ。