「病とのつきあい方」マタイ8:14-18 

「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。」18節

 主イエス・キリストは、わたしたちと人生の旅を共に歩まれるだけでなく、わたしたちの人生の重荷を一緒に背負ってくださる方です。ですからわたしたちは病の現実のただ中で支えられ、乗り越えていくことができるのです。

病とのつきあい方その①

聖書は病という現実を、人間として本来あるべきものとしては基本的に描いていません。病で苦しんだり、病に伴っていろいろとマイナスの感情に襲われることを、本来的なものとしては見ていないのです。それはやはり、病と向き合い、戦い、負けないでいることが大切ということです。ですから祈りによって闘うのです。

病とのつきあい方その②は、受けいれるということです。

ラインホルド・ニーバーの祈りを紹介します。

 

神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。

 

祈りによって癒されない病もあるのです。謙虚に、現実を受けいれることも必要なのです。

病とのつきあい方その③は、望みを捨てないということです。イエス・キリストを信じてその救いに与るということは、心が救われるだけでなく、体全体も救われることです。その救いの実現は、この世では一部分ですが、この世を越えた神の御国で完全に実現します。癒されて、踊りあがるようにして、主を中心とした仲間との再会がゆるされています。そういう意味では、この世での病の現実は、仮の姿であり、過ぎゆく現実です。もし、現実に病によって苦しめられていたとしても、御国での癒しの希望に立って、明るくユーモアをもって乗り越えていけます。