「新しい言葉を語る」創世記11:1-9、使徒2:1-13

 

「すると一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」使徒2:4

 

言葉で通じ合うというコミュニケーションが、昨今いろいろな場面で難しくなってきました。SNSなどで即座に言葉を拡散できる便利さがあるにも関わらず、です。今日、世間を騒がせている事件のほとんどは、この言葉の乱れから来ています。

聖書は創世記11章のバベルの塔の物語を通して、世界中の人々が、言葉が乱れて通じ合えなくなった原因を明らかにしています。それは、天にまで届く高い塔を建てて、自分が、自分たちが、神のようになろうとした、人間の高ぶりと自己中心、エゴイズムです。それを聖書は罪と呼んでいます。

その一方で新約聖書の使徒言行録2章、ペンテコステでの出来事の中に、バベルの塔の物語の逆バージョンがあります。それは、世界中の人々の言葉が通じるようになり、コミュニケーション可能になった言葉の奇跡です。その鍵となったのは、イエス・キリストの十字架のメッセージでした。この方が根本の罪を十字架で取り除いてくださったからです。聖霊が注がれる中で、わたしたちもこの救いに与ると、新しい言葉を発信します。新しい言葉は、謙遜で、真実で、建徳的で、霊的であるという特徴を持ちます。

スポーツジャーナリストの増田明美さんが、人を傷つける一方で、また人を元気にすることもできる言葉の力について、ご自身の体験も含めて書かれた文章を読んだことがあります。増田さんは、マラソンの実況の解説にとどまらず、ラジオ番組や大学など様々な場で、「人を元気にする言葉」を発信していくことを心がけておられます。言葉の可能性を信じてのことです。わたしたちも、希望をもち、聖霊に力を頂いて、新しい言葉を発信していきましょう!