「新しいいのちははじける」マタイ9:14-17
「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪いさられる時が来る。そのとき、彼らは断食をすることになる。」
ユダヤの婚礼は、大変喜ばしい祝福の時です。一週間ぶっ続けで行われました。花婿、花嫁は、新婚旅行に行かず、一週間、まるで王とお妃のようにふるまうのだそうです。地域ぐるみのお祭りです。大きな喜びです。花婿は誰でしょう。それは、主イエスご自身です。花嫁は、弟子たちです。そして、わたしたちでもあります。
主イエスが、わたしたちと共にいてくださる。それは大きな喜びであり解放の時です。民衆は、皆が裕福なわけではありません。苦労を強いられています。経済的な生活苦もあり、人生の難しい試練ということもいろいろあるわけです。しかし、結婚式の一週間は、そういう悩みや悲しみから解放されて、喜びに浸るのです。ですから日常からの解放の時なのです。
主イエスが、花婿として共にいてくださる宴席はいつ、どこで行われるでしょう。それは、わたしたちで言えば、日曜日の安息のことです。共に礼拝をし、交わりをし、賛美をし、祈る。それは大きな喜びと解放の時なのです。
そして、このような新しいいのちは、はじけるのです。
「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」
新しいいのちは、新しい革袋でないと対応できません。わたしたちは古い革袋にいつまでもこだわってはいないでしょうか。古い革袋にしがみついていると、新しいいのちを押し込め、芽を積み、古い革袋自身が破れてしまいます。
わたしたちはいつでも、中心にあるいのちを大切にしつつ、変わってはならないものは、変えずに大切にし、変わっていくべきことは、勇気をもって柔軟に変えていくことをよしとしましょう。それは主の御こころだからです。