「揺り動かされないもの」使徒16:15-34 

わたしたちの歩みにおいて、今日の話のように、大きく揺さぶられる時があります。神の手が触れるのです。するとありのままの裸の自分がさらけ出されます。自分や自分の家族のことしか考えていないエゴイズム。悪いとわかっていても長いものに巻かれて生きていく自己保存本能。しかし、それ以上のものは無なのです。自分を支えるものは何もない。支えとする誰かがいるかというと誰もいないのです。そんな獄の番人の目に映ったパウロとシラスには、決して揺り動かされないものがあることが明らかでした。それは、主イエス・キリストへの信仰から来る平安であり、心のゆとりであり、また彼らの内から湧き出てくる神の愛でした。そのことが、地震が起こる前のフィリピの真夜中の牢獄で響き渡っていた賛美にも証しされていました。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」

主イエスを信ぜよ。そうすれば、あなたは揺り動かされない土台を人生に据えることになります。そして、家族にとってのまことの救いはここにあるのです。主イエスを信じて礼拝を第一として生きよ。そうすれば、あなたの家族は本当に救われるのです。家族にとっても揺り動かされないものを得るのです。

何もかもが信じられない世の中です。誰も信じられない厳しい現実の中で、「信ぜよ。」と御声が響く。