「人間と連帯される神」マタイ1:1-17
イエス・キリストに至る系図は、人間の罪の歴史です。その罪の歴史にイエス・キリストが誕生されたということの中に、聖なる神が人間とどこまでも関わり続けようとされる意志が現れています。それは愛の意志です。この愛は、人間と同じレベルまで降りて来てくださったということではありません。それを超えて、神が、僕のように低く仕えてくださって、自分の命を犠牲にして愛し通された徹底的な愛です。そのへりくだった、徹底した愛は、イエス・キリストの生涯を見れば一目瞭然です。それは特に、十字架の死にあらわれています。
「キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分となり、人間と同じ者となられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」フィリピ2:6-8
その愛がクリスマスに具現化したのです。ですからクリスマスにわたしたちが取るべき態度はどのようなものでしょうか?
まず、このへりくだり、徹底的に仕えてくださったのは、わたしのためであることに気付くことです。わたしの罪を贖うために、十字架にかけられたイエス・キリストの、聖なる愛を受けいれることです。
第二に、その愛に応えてわたしたちも生き始めることです。
この愛は、死で終わるのではありません。かえって死を通して、多くの実を結ぶようになります。イエス・キリストの死―アフガニスタンでの中村医師の死―そして、このラインにあなたが続くことを神は望んでおられます。これに連なっていきましょう。