「しなやかに生きる」創世記26:15-33
小学生6年生の時に、5年生に阿部君という男の子がいました。彼は体が人一倍大きく、大変目立って、いわゆる番長のような存在でした。ある時、気に入らないことがあったのでしょう。どんな理由だったかは、忘れてしまいましたが、片っ端から殴りかかってきたのです。小心者のわたしなどはこそこそと逃げ回っていましたが、同じ6年のクラスに福岡君というのがいて、阿部君に胸ぐらつかまれて、二三発殴られました。でも福岡君は反撃をせずに、事がおさまりました。阿部君もそれで気がすんだのでしょう。その後でのホームルームの時でした。担任の先生は、福岡君のことを大変ほめてくれたのです。「福岡君、偉かったよ。負けるが勝ちとはこういうことだね。りっぱだったよ」と。福岡君も、「あいつのパンチはなかなか効いたよ。」大人のコメント。すごいなと思いました。福岡君も男を上げました。負けるが勝ちなのですね。暴力に訴えるしかない心の弱さに対して、やり返さずに耐えるという精神的な強さの方が、実際は強いのです。その生きた学びとして、今も記憶に残っています。今日のイサクもまた、弱くて強いのです。彼は、神様を信じていたのです。神様に身をゆだねていたのです。だから、柔らかく対応できたのです。それはまるでしなやかな竹のようでした。竹は強い衝撃に対して、バンと押し返す強さではありません。まず、しなやかに受けとめて、たわむのです。でも、それで折れない。そういう粘り腰があるのですね。
それをイサクにあてはめてみると、しなやかさとねばり強さ、それは信仰から来ることがわかります。