千葉県佐倉市の日本キリスト教団 ユーカリが丘教会HPです

教会の行事一覧

教会の行事

【教会修養会(礼拝と学び)(9月11日)】
 9月11日(日曜)に教会修養会がもたれました。同会は午前中の礼拝説教から始まり、午後の学びと賛美の時間と続きました。今修養会は8月7日の平和聖日の催しに続くもので、聖書を通じ近・現代史を学ぶことで現代社会に生きるキリスト者のあり方を見つめるものでした。
その概略は下記の全体概況の通りです。今回の修養会で特に説教及び学びの交わりを通じて、心に残った内容を講師の言葉として記しました。

               記
《全体の概況》
1 礼拝  10:30〜12:00
    説教題 「イエスは良い羊飼い」ヨハネによる福音書10章1〜15節
    説教者  林 茂樹氏  (田園都築教会員)
2 昼食  12:20〜12:50   
3 学びと讃美の時間
    13:00   讃美と開会の祈り
    13:15〜  テープ「宗教の時間 カール・バルトの信仰」  30分
       ‘宮田光雄氏(東北大学名誉教授)へのインタビュー を聞く
    13:50  テープを聞いて 感想と質問等(若い兄弟・姉妹)
    14:05  講師(林 茂樹氏)の助言と意見交換
    14:40  讃美と閉会の祈り

《説教を通じて特に心に刻まれた講師の言葉》
★『ファリサイ派の人々は、真実に生きようとした人々で、正しくあろうとして本気で生きた人々の集団でした。しかし、彼らは、イエスにまことの羊飼いの姿を見ることができませんでした。まことの羊飼いを目の前にしながら、その声を聞き損ないました。彼らは自分の正しさを主張し、イエスがどんなに真実に、本気で私たち人間を御自身の羊として愛しておられるかが分からなかつたのです。そのために、イエスを殺してしまうところまでいくのです。』

 ★『キリスト者の中でも、イエスの声を聞くよりも、自分のこり固まった信念が先に立っているのはよく見られる姿です。また、私は正しいのだから誰に何と言われても変える必要はないと思い込むことがあります。しかし、イエスの声が聞こえてきたならば、自分の信念のみならず、自分だけの正しさも捨てなければならないのです。そうしないと、ファリサイ派の罪を犯してしまいます。』

 ★『このエゼキエル書34章の言葉は、まことの牧者である神の、偽りの牧者たちに対する戦いの宣言です。羊を飼い損なつている偽りの羊飼いたちに対する、まことの羊飼いの戦いの宣言です。イエスは、伝道の戦いの中で、このエゼキエル書の言葉を何度も思い起こしながら、まことの羊飼いとして、父なる神の御心をどのように御自身の言葉と歩みで実現するかを考えておられたに違いありません。』

 ★『その戦いは、羊の側の戦いでもあります。それは、まことの羊飼いの声を知って聞き分けることができるかどうかということです。イエスは、10章で、「羊はその声を聞き分ける」、「羊はその声を知っている」と繰り返しておられますから、それが極めて大事なことだと思っておられたに違いありません。羊飼いの側にも、羊の側にも戦いがあるのです。』

★戦いと言えば、1933年は私たちが記憶すべき年で、ドイツでヒトラーが政権を取った年です。一挙にヒトラーの時代が来て、ヒトラー反対の声を挙げることが困難になりました。そのような中で、ヒトラーは、当初は甘い言葉で教会に対して直接間接に干渉の手を伸ばしてきました。その時に、多くのキリスト者や教会はヒトラー支持に傾いて、そのことを言葉でも明らかにするようになりました。彼らは、神の啓示は、イエス・キリストだけでなく、ドイツ民族とその歴史や指導者であるヒトラーを通しても示されると考え、今ここで必要なのは、ドイツ民族に与えられたヒトラーとその国家への服従であると主張したのです。しかし、それに疑間を持ったキリスト者や神学者たちもいました。そこでその人たちは、告白教会という名のもとに結集したのです。そして、1934年5月に、バルメンの町の教会にドイツ全上のさまざまな教派の人々が集まって会議をして、教派の違いを超えて全会一致で採択した声明が「バルメン宣言」と呼ばれるものです。』

《学びの交わりを通して特に印象に残った講師の言葉》
★バルメン宣言の第一項は、「聖書においてわたしたちに証しされているイエス・キリストは、わたしたちが聞くべき、またわたしたちが生と死において
信頼し服従すべき神の唯―の御言葉である」という言葉です。単純明快な、しかも感動的な言葉です。それにすぐに付け加えて、この宣言はこう言いました。「教会がその宣教の源として、神のこの唯―の御言葉のほかに、またそれと並んで、さらに他の出来事や力、現象や真理を、神の啓示として承認しうるとか、承認しなければならないとかいう誤った教えを、わたしたちは退ける。」これは、イエスキリスト以外のものを神の啓示として承認するような、ヒトラーに迎合するキリスト者たちの誤った教えを退けると宣言したということです。

★政治学的に《バルメン宣言》にとても興味があると思うのは、それまでドイツの教会は、ローマ書13章の言葉に枠付けられて、国家は神によって与えられた神聖な秩序だ、と受け取る伝統が強かったのですが、《バルメン宣言》では、国家というものは、神聖な権威を持った絶対的な秩序という存在ではないと。あくまでも一定の目的、即ち法の支配・民衆の平和な生活そういう目的を守るために神によって定められた、一定の役割と目的等を与えられた機能的な国家である、機能的な秩序である、と規定していることであります。
ヒトラーは国民に崇拝されることによって、国民が自分にのみ服従する存 在になるということを期待していたのですが、《バルメン宣言》はそれを明確に否定したわけです。「人間に従うよりは、神に従うべきである」という聖書の言葉が、《バルメン宣言》の根底にあるわけです。

★米国講演中ある学生がライフワークを短い言葉で要約できないかと、バルトに質問したのです。面白い質問だと思いますが、聴衆はこの学生の大胆さに息をのみます。しかし、バルト自身は少しも困った顔を見せないで、答えました。「よろしい、私が小さい時母の膝下で教わった一つの讃美歌で答えましょう」と。続けて出たのが、世界中でよく知られた子ども讃美歌「主われを愛す。主は強ければ、われ弱くとも恐れはあらじ」ですね。英語の原語には(for the Bible tells me so)とあります。これはバルト神学の本質をよく示しているからです。バルトの生涯を支えたのは、この聖書のメッセージ、すなわち、イエス・キリストの福音に対する「子どものような」素直な信頼だったのです。そのことは、宮田先生のご著書『カール・バルト』に載っています。』

★『現在、私たちの周りに、ある意味で暗い不安をかもし出す状況が取り囲んでいると思います。こうした中で、バルトの生涯を貫いた、「力強く、落ち着いて、ユーモアをもって、喜びをもって」生きていくという姿勢―この「晴朗な精神」(前掲の著書の末尾)をもつことこそ、いま我々がバルトから学ぶべき最も重要な事柄ではないかと思います。』

以上