千葉県佐倉市の日本キリスト教団 ユーカリが丘教会HPです

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教会の行事

【平和聖日の礼拝(8月7日)】
 日本基督教団では、8月の第一聖日を「平和聖日」として称し特に平和のこと考え祈る日としております。これは8月6日・8日に我が国に原爆が投下され、又15日に第二次世界大戦の敗戦を受諾してのことです。
 ユーカリが丘教会では去る8月7日助川暢先生を山形県小国よりお招きし、「平和をつくる人たちに学ぶ」と題しお話をいただきました。助川先生は高校時代内村鑑三の著作『後世への最大遺物』に深く心を捉えられ、その後北海道大学農学部及び学生生活を通じキリスト教信仰に導かれました。長年山形独立学園で教鞭をとられる一方、環境保全活動や障碍者のための活動にも心を傾けてこられました。
お話は持参されたレジメに基づいて次の内容で進められ、又その補完説明として資料(1〜4)も準備されました。以下その概要です。
 ー分の出生(1934年 福島県阿武隈山地で生まれ)及びその後の生い立ち(キリスト教信仰に基づく教鞭や社会活動の実践)
◆‐年期の戦争体験
  国民学校時代の徹底した軍国主義教育を受けるも先生たちには大事にされ、概ね静かな田舎での教育を受けた。しかしこの戦争が何たるものであったかをより多く知るための読書により見聞を広めた。そのなかで特に『富士山とシナイ山』(小山晃裕 森泉弘次訳)(教文館)が日本の敗戦は軍事的理由では説明ができず、偶像礼拝に陥っていたことが真の原因であることを指摘しているのに自らの体験を併せ強く共感を覚えた。
 中学・高校・大学の学び
  自分は新制中学の第1回生であり、戦前の軍国主義思想から一転、『新しい憲法のはなし』をテキストに新憲法を学び徹底した民主主義、平和主義の教育をうける。高校2年のとき内村鑑三の『後世への最大遺物』に感動、岩波文庫の『余は如何にして基督教徒となりしか』、『内村鑑三随筆集』、『基督教徒の慰め』などを次々に読み、大学は内村の学んだ北海道大学にいくことを志す。大学1年のとき『年若き友に』(塚本虎二)に強く魅かれ、聖書にも出会った。2年生より札幌聖書研究会(浅見仙作らが創設)に加わり、以後浅見家の方々と交誼が今日まで続く。
ぁ(刃造鬚弔ったひとたち
  平和をもたらすには具体的な実践を通して地道に築きあげるといえる。その意味で私の出会った3人の方についてお話ししたい。
 顱棒見仙作翁
    札幌聖書研究会を通して翁を知り、ご家族の皆様とも知り合いとなった。翁の反戦思想あるいは治安維持法違反故に警察の検挙を受けた。しかしご家族の皆さんが色々な仕事に従事され物心両面で翁を支え戦前の厳しい状況のなか協力して乗り越えられてこられた。
 髻棒誼喊
   無教会キリスト教伝道者であって、内村鑑三の晩年の弟子。旧制静岡高校化学科で教鞭をとっていたが、満州事変を批判する言動により、辞職を余儀なくされ、以後伝道活動に入る。戦争を聖書の立場から否定し、憲兵に連行されるも、絶対非戦、絶対無抵抗の立場を貫いた。彼の平明かつ現実に即した福音宣教の影響により、社会で実践的に活躍する弟子が育っていった。
 鵝卜詭敝美(すけよし)
内村鑑三の弟子で、基督教独立学園高等学校の創設者、初代校長。1944年、「この戦争は日本が悪いから負ける」と発言したため治安維持法違反容疑で逮捕され、山形警察署地下監房に収監された。1945年2月12日に釈放されて帰宅。戦後は、日基督教独立学園高等学校の教育の場で平和教育を実践すし、老年まで自ら教鞭を執り、日曜聖書集会の講義を継続。
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『平和をつくる苦労を引き受けよう』
『祈りによって平和の前身のための拠点を築いて行こう』
『平和の拠点を築く石垣となろう』
『各地を繋ぐ祈りの連帯を深めよう』
                                以上